クラシック音楽とは

現在のようにテレビやラジオ、そしてCDプレーヤーや携帯音楽プレーヤーなどが一般化されるまでは、「音楽を聴く」ということは特別なことでした。電気などあるわけがない中世の時代などのことを考えると、人々が音楽に触れるためにはそこで「演奏されていなければならない」という制約があったのです。CDやレコードなどがない時代には、それが当たり前でした。音楽は特別な場で聴くための宅別なものだったのです。

クラシック音楽はそのような時代の音楽です。特別な人間が、特別な時に特別な場所で聞くことができるものでした。その成り立ちや歴史的な背景は調べれば調べるほど奥が深いものになるのですが、何より「生楽器」の音だけで編み出されるアンサンブルであることが大前提として挙げられます。それも同じ楽器をいくつも重ねたアンサンブルです。現在のように「電気」がない時代には、多くの人に音楽を聴かせるためには、大きな会場を音で溢れされるためには、ひとつの楽器では足りないということなのです。ですから音を幾重にも重ねるのです。さまざまなパートでひとつの音楽を構成しているのです。

クラシック音楽と一言でいっても、それぞれの時代の背景などが反映されたさまざまな音楽があります。当然使える楽器は限られてますし、電気で音を増幅させることが出来ないものですから、現代の音楽のように「エレキギター」や「シンセサイザー」などの音は入っていません。電気を通さずとも音が出せる楽器による、アンサンブルとなっています。現在聴くことが出来るそれらのアンサンブルは、当時のスコアなどから現代に蘇らせたものです。現代の人間が、現代の指揮者の元、演奏したものです。生演奏を聴いたとしても、CDを買ったとしても、どうしてもその曲が作られた当時のものを聴くことは出来ないのです。

クラシック音楽は現存するスコアなどから再現するしかなく、研究することによって当時の編成などを探るしかありません。そのような状況でも「音楽」が記録されている事自体が僥倖であり、現代を生きる私たちにとってはとてもありがたいことなのです。クラシックは学問でもあります。当時の演奏はどうだったのか、どのような編成で、どのようなアンサンブルを奏でていたのか、時代背景などを考証しながら、当時の音楽を現代に蘇らせる活動が、クラシック音楽の取り組みなのです。

「クラシック」とはいえ現代に再現されている以上、そこには「今」を生きる人の思いや考えがこもっているのです。ただ「昔に作られた」ということだけではありません。そのような昔に作られた音楽を現代でどのような解釈をして再現するのか、ということが大切であり、その楽曲を指揮する人間に課せられた使命でもあるのです。「楽譜」からアンサンブルに再現することは単純な作業ではないのです。そこには「解釈」と、ひとつひとつの音をどう再現するかという想像性、そしてひとつひとつの音を理解した上でどのように組み立てていくのか、という卓越した技術と感性が必要なのです。クラシック音楽と一言で片付けるには、時代はあまりにも長く、残された作品はあまりにも膨大です。そのようなことを加味してクラシック音楽を聴けば、すこし新たな視点で楽しめるのではないでしょうか。

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